長男の上履きが紛失!?【なぜ事件は起きたのか?】

保育園

2020,7,17(金) 天気:雨

 子供たちを園に迎えに行くと、担当保育士からこんな連絡を受けました。

 お父さん、すみません。今日、雨だったので遊戯室でみんなで遊んでいたら、長男くんの上履きが片側だけ無くなって、教室で見つかるということがありました。

 同じクラスのお友達がイタズラでやってしまった様です。本当にすみませんでした。。。

 長男は、とても悲しい気持ちになってしまっていました。私も、「なぜ?」ということが、頭をグルグル回っていました。


 「どうなってるんですか、おかしいでしょ!!」と、担当保育士いう事はとても簡単ですが、その方法だと全く得るものがありません。


 ここからは、保育士との会話と、自分の考察を元に記載していきます。

事件当日の簡単な流れ

事件の様子〜上靴が見つかるまで
 1,場所:遊戯室
 2,遊戯室では上靴を履く履かないは自由である
 3,靴が見当たらない長男が、担当保育士に靴がない旨を報告
 4,その後、保育士、園児総出で捜索
 5,靴を隠した本人が「先生、靴あったよ」と、報告。しかし、突き止めてみると本当はその子が隠してしまっていた

 この様な悲しい思いをする子が減る様に、まとめていきたいと思います。

なぜお友達は、靴を隠してしまったのか?

 私が一番最初に担当保育士に尋ねたのはこれでした。

 「なぜ、その子はウチの長男の上靴を隠してしまったのでしょう?」

 その後、担当保育士と原因について立ち話程度の深掘りを実施しました。

 「なぜこんなことが起こってしまったのだと考えられますか?」
 「なぜウチの長男の靴なのだと思いますか?」

 そこで、私たちがたどり着いたことは、「承認欲求」を得たかったのではないか?という、考えに至りました。

 自作自演でも、靴を発見することで「○○ちゃんすごいね!」「どこにあったの?」「良く見つけたね!」という、認めてもらったという気持ちを得たかったのではないかと思います。

そもそも承認欲求って何??

 承認欲求は、「他人に自分だけをみて欲しいと思う欲求のこと」の様です。

 例えば、「周りの人に、自分の考えを理解してもらいたい」「自分を大切に扱って欲しい」「自分の考えを尊重してもらいたい」などが、それに当たります。

 調べたところ、人間なら誰でも持っている欲求の様です。

 そう考えると、「何してくれてるの?」と、一方的に言えず、やり方を間違えてしまったって感じでしょうか。

 やった方も、やられた方も心のケアが必要だと思いますが、今回の件で得られる教訓はこんな感じです。

やってしまった側
 ・自分のしたことで悲しむ友達がいるということ
 ・人を悲しませてしまうことではヒーローになれないこと
 ・他の子たちにも嫌な思いをさせてしまったこと

やられた側
 ・物を隠されると、とても悲しい気持ちになってしまうこと
 ・多くの友達や保育士が、自分のために探してくれたということへの感謝

 得られる(学べる)事はこんな感じではないでしょうか?

 やってしまった側の心のケアは、私の影響の輪を外れていますので、その子の両親と保育士にお任せです。本質をきちんと教えていただけることを期待しています。


 私は長男に、「無くなって探してくれる友達と先生たちがたくさんいてくれてよかったね。これも、毎日人に優しくしてるから、みんなが手伝ってくれたんだね。それから、人の物を隠したりしたら、悲しい気持ちになるお友達がいることを忘れてはいけないよ」

 と、伝えました。まぁ、自分が5歳の時にこんなことされたら、めちゃくちゃ悲しかっただろうなと思うと、長男は良く頑張ったなと思います。

そもそも、靴を隠されたのはなぜか?隠されない方法もあったのでは?

 遊戯室では、上靴を履くのも、裸足でもなんでも自由な様です。話を聞いてみると、男の子は裸足で遊ぶ方が主流なんだとか。

では対処法はなかったのか?

 遊戯室で靴がなくならない様にするにはの考察について、数点書いていこうと思います。あくまでも、今回のパターンのみです。来週保育園に登園したさいに、それとなく担当保育者には伝えてみます。

対策: 1 遊戯室では靴を履いて遊ぶ
    2 遊戯室の中に靴をまとめて置き、遊んでいる最中にはその場に近づかない。(ビニールシートとかで覆ってもいいですね)

 対策1ですが、これは間違いなく今回の問題を防げたでしょう。

 でも、自由な場なので子供の選択肢を減らしてしまうのはちょっと微妙ですが、今回の件に関しては1番の対策でしょう。
 長男には「足踏まれたら痛いし、靴履いたら?」となんとなく伝えてみようと思いますが、最終的には自己判断に委ねます。

 対策2ですが、遊戯室で、裸足の子が靴を履いて外に出るのは、遊び終わりか、お手洗いかくらいしか思い浮かびません。
 

 靴を置いている場所にきたら、「何か困ったことがあるのかな?」と保育士が気づくことも可能でしょう。

最後に

 悲しい事件にたまたま巻き込まれてしまった、長男。

 あの切ない顔と、自分のモヤモヤを整理するために書きましたが、やはりこういうことにはきちんと向き合えば学びがある物だなと痛感しました。

 今回の件がなければ、承認欲求についても調査する事はなかったでしょうし、長男が困った時に助けてくれる存在が、こんなにもいることに気がつかなかったでしょう。

 前回の、保育面談で担当保育士とコミュニケーションを円滑にとれる様になっていたのも、早めに情報を教えてもらえる良いきっかけだったのだと思います。

 そんなこんなで、月曜日にまた園にそれとなく相談します。

コメント

  1. たつや より:

    他者の課題と自分の課題を分離した考察がすごくわかりやすく書かれていますね!承認欲求に関しては、著書「嫌われる勇気」では明確に否定をされていますが、承認欲求を捨てることは容易くはないと感じます。私も些細な出来事にもなぜ?と疑問を抱き、意味づけを行なっていくように心がけたいと思いました。

    • masaya より:

      まだ小さいし、わからなくもないですけどね。承認欲求はsnsの発達した今、さらに高まっている様に思えますね。「承認欲求が否定されている」ということを認知しておられる人はごく一部だと思います。本当に子供たちから教えてもらうことは多いですね。